Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

コリアの歴史04:1898.3.23ロシアの軍事・民事アドバイザが撤退

さて、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいるが、思わぬ形で李氏朝鮮に影響が及ぶことになる。今回はロシアの軍事・民事アドバイザの突然の撤退を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

旅順・大連を租借したロシアは李氏朝鮮への関与を低下させる。1898年[US122]3月23日ロシアは李氏朝鮮に派遣していた軍事・民事アドバイザを全て撤退させた。

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ロシアが清から旅順と大連を租借する条約を締結(1898年[US122]3月15日)してからたったの8日目、ウラジオストクに加えて新たな不凍港を獲得したロシアは韓国への関心を低下させ、1898年[US122]3月23日に韓国から全てのロシアの軍事・民事アドバイザーを撤退させてしまった。

露館播遷(ろかんはせん、1896年[US120]2月11日〜1897年[US121]2月20日)によって自らロシアの傀儡となった李氏朝鮮だったが、「ロシアに見放される」という意外な形で事実上の独立国としての立場を回復したわけである。

露館播遷の終了からロシアが撤退するまでの間、李氏朝鮮の度支衛門 (日本の大蔵省に相当)の顧問を巡ってロシアとイギリスの間で一悶着あった。簡単に言うと、度支顧問はそもそもイギリス人だったところ、傀儡である李氏朝鮮がイギリス人を解雇してロシア人を後任に据えた、怒ったイギリスが東洋艦隊を派遣すると、李氏朝鮮はイギリス人度支顧問を留任した、という話である。

Synmeが思うに、ロシアとしては日本海がイギリスとの戦闘海域になり得るという想定の下、日本海北部はウラジオストクで対応でき、日本海南部と黄海の両方に睨みを効かせられる旅順があれば、李氏朝鮮に不凍港を求める必然性はないと考えたのではないか?また、旅順は大連港という商業港付きであるため一石二鳥であっただろうと思う。

事実上の独立国としての立場を回復した李氏朝鮮(大韓帝国)であったが、近代化は進まず混乱は続くことになる… ちなみに、ロシアは李氏朝鮮を去るにあたって、ニッポンと改めて協定(西・ローゼン協定)を結ぶ。こちらは次回に学ぶ。

 

文責:鵄士縦七