イギリスの地政学05:1896.1.15シャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言
Synmeは日清戦争を学んで来た。関連して、久々にイギリスの地政学を学ぶ。今回は、シャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言。最初にクールにザックリまとめる。
1896年[US120]1月15日イギリスとフランス第三共和政はシャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言を発表してタイを緩衝地帯とした。
シャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言(1896年[US120]1月15日)は、1886年[US110]にはビルマ全域を獲得していたイギリスと、ラオスを保護下に置いたフランス第三共和政が、タイの独立を維持して同地を両国の緩衝地帯とすることを合意・発表したものである。
メコン川を境に隣り合うことになったイギリスとフランス第三共和政が事前に紛争を回避することが目的だった。
加えて、Synmeが思うに、日清戦争と三国干渉の結果として欧米列強が借款を通じた清からの権益獲得に目処が付いていたことも背景にあったのではないかと考える。チャイナ侵略の好機が訪れている中で、インドチャイナで英仏間に紛争が発生するのはロシア、ドイツ、ニッポンを利するだけだという計算は働いたのではなかろうか。
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1893年[US117]メコン川東岸の割譲を迫るフランス第三共和政の要求をタイが拒絶して仏泰戦争が勃発。フランス第三共和政 はタイに勝利してラオス の宗主権を放棄させ、ラオスを保護国化した。
文責:鵄士縦七