Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ロシアの地政学35:1898.3.15(or27)旅順(Port Arthur)・大連租借

ひきつづき、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はロシアによる旅順(Port Arthur)・大連の租借と南満洲鉄道敷設権の獲得を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1898年[US122]3月15日(または27日)ロシアは旅順と大連を25年間租借し、南満洲鉄道の敷設権を獲得した。

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Synmeが思うに、外交の基本は結局「ナメられないこと」、「弱みを見せないこと」なのではないか。

ニッポンに敗北し、ドイツに膠州湾を租借した清は、この基本を守れなかった。ドイツに膠州湾を占領されると、間髪を入れずにロシアに旅順と大連を占領されてしまったようだ。

そして、1898年[US122]3月15日ロシアは清から旅順と大連を25年間租借する条約を締結した。同条約で、ロシアは南満洲鉄道敷設権を獲得した。ドイツを見たロシアが「俺も俺も」と、同じ様に租借地と鉄道敷設権を獲得したわけだ。

ちなみに旅順が軍港、大連が商港である。1860年[US084]に北京条約で獲得した沿海州に建設したウラジオストクに加えて、約30年振りにロシアは念願の不凍港を増やすことに成功したわけである。

更に、これが次のイギリスの動きにつながる。イギリスの場合はドイツとロシアの真似という面に加えて、ドイツとロシアに対する対抗措置という意味合いも含まれていたようだ。

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synme.hatenablog.com

1860年[US084]ロシアは清と北京条約を締結して沿海州を獲得。ロシアは沿海州南部にウラジオストクを建設し、遂に不凍港を手に入れた。 

 

文責:鵄士縦七