Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学44:1907.4.1樺太庁の設置

今回も前回にひきつづき少しだけ時計の針を巻き戻して日露戦争の関連でニッポンの地政学を学ぶ。今回は、樺太庁の設置。最初に、クールにザックリまとめる。

1907年[US131]4月1日ニッポンは、南樺太(樺太島北緯50度以南)を統治するため、 樺太庁を設置した。

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日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日、ポーツマス条約)により、ニッポンは南樺太を獲得した。 

南樺太とは、樺太島のうち北緯50度以南の地域およびその付属島嶼を指す。樺太・千島交換条約(1875年[US099]5月7日署名、8月22日批准・締約)で失った樺太島へのアクセスを約30年振りに取り戻したわけだ。

樺太の材木資源は製紙産業の振興に役立ったようだ。言うまでもなく、対ロシアの国防上の観点からも有意義であった。

この南樺太を統治するため、明治40年勅令第33号(樺太庁官制)に基づき、1907年[US131]4月1日に樺太庁が発足した。

首都は豊原市、現在のユジノサハリンスクであった。当初は大泊(おおとまり)に置かれていた樺太庁舎も1908年[US132]8月13日に豊原へと移転した。

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1904年[US128]2月8日、日露戦争勃発。ニッポンはロシアに勝利し、ポーツマス条約を締結(1905年[US129]9月5日)。両軍が満州から撤退することに合意した上、ロシアはニッポンの朝鮮半島における優越権を認め、南樺太を割譲し、南満州の租借権(南満州支線、旅順、大連)を譲渡した。 

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1875年[US099]5月ニッポンはロシアと樺太・千島交換条約を締結。ニッポンは樺太を放棄した代わりに、千島列島全島と北洋漁業権を得た。 

 

文責:鵄士縦七