ロシアの地政学37:1904.2.8-1905.9.5日露戦争
今回も日露戦争を学ぶ。まずニッポンの地政学の観点から考える。最初に、クールにザックリまとめる。
1905年[US129]9月5日ロシアは日露戦争に敗北し、北満州に押し戻されてしまった。
まず、高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門から引用する。
(省略)ロシアと日本の利害がぶつかった戦争。日本に敗戦し、東アジアへの進出を諦めざるをえなくなった。
そう、日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)に敗れたことはロシアにとっては、西の端で新興国のドイツに南進政策を阻止されてやって来た東の端で、同じく新興国のニッポンに(ユーラシア大陸をまたぐ)往復ビンタを喰らった様な外交的敗北であったとSynmeは思う。朝鮮半島におけるニッポンの優越権を認めさせられ、南満州を割譲せざるを得なかったロシアは、北満州に閉じ込められてしまったからである。
西の端では、ドイツ第二帝国Otto von Bismarckの主導によったベルリン条約(ベルリン会議、1878年[US102]6月13日〜7月13日)により、ロシアはサン・ステファノ条約で獲得した地中海への陸路を失ってしまっていた。
しかし、ニッポンに喰らった往復ビンタにより、ロシアは再びバルカン半島の南下を模索することになる。そして、ドイツ第二帝国と対立する図式へと移行していくわけである。
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文責:鵄士縦七