ニッポンの地政学52:1912.7.8第3次日露協約
第1期グレートゲーム(The Great Game)終結後のニッポンの地政学を学ぶ。今回は第3次日露協約。最初に、クールにザックリまとめる。
1912年[US136]7月8日ニッポンはロシアと第3次日露協約を締結し、内蒙古東部と西部の権益を相互に承認した。
第3次日露協約(1912年[US136]7月8日)は、辛亥革命(1911年[US135]10月10日〜1912年[US136]2月12日)と外蒙古独立宣言(1911年[US135]12月29日)に対応した列強ロシアとニッポンの協約である。
必要な外交と評価できる反面、対モンゴルという点ではニッポンと欧米列強との間にスタンスの違いは全く見られない。同じアジア人としてモンゴルと組むという発想は当時のニッポン人にはなかった様だ。あるいは、漢民族とモンゴル民族を区別する発想もなかったのかもしれない?
現代ニッポン人もそうなのだが、チャイナには漢民族(現在では≒中国共産党)の他に、モンゴル民族、ウイグル民族、チベット民族など、個々に主権国家を構成していておかしくない複数の民族がいることを忘れてはいけない。
Synmeに言わせると、漢民族(≒中国共産党)、北朝鮮、韓国という3つのAnti-Japan勢力のプレゼンスが所与である現代東アジアの安定には、ニッポンと台湾、モンゴル、ウイグル(その支援国であるトルコ)、チベット、チベットの支援国でもある大国インド、チャイナと陸続きの海洋国ベトナムなどアジア諸国との連携は不可欠なのだと思う。そうでないとパワーバランスが保てないので、常に不安定化のリスクが潜在することになる。
ニッポンの戦後とは、この外交上の基本「バランス・オブ・パワー」を自国の近所の東アジア地域においてすら何も考えてこなかった70年間であった。
現代ニッポンは、ニッポン独自の東アジア外交を展開してこそ、アメリカ、インド、欧州諸国、台湾、ASEAN諸国の信認を勝ち得るのだと思う。そして、ロシアとの交渉も進むのだと思う。
そうでなくても、モンゴル民族、ウイグル民族、チベット民族などは中国共産党による深刻な人権侵害/民族浄化に遭っているのだから、自由主義国家/民主主義国家であるにもかかわらず彼らを支援する発言・行動を国際社会に積極的に示さないこと自体が自由主義/民主主義陣営における不信任につながっていることを自覚すべきであろう。
そういう意味で、戦後ニッポンの国際平和への貢献度は限りなく「ゼロ」に近いと言わざるを得ない。
文責:鵄士縦七