Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

1913.1.11チベット・モンゴル相互承認条約

辛亥革命の影響としては、ニッポン、モンゴル、チベット、そしてGreat Gameの経緯からロシア及びイギリスが関わっている。今回はチベット・モンゴル相互承認条約。最初にクールにザックリまとめる。 

1913年[US137]1月11日モンゴルとチベットはそれぞれの独立自治権とボグド・ハーンによるモンゴル統治権およびガンデンポタンによるチベット統治権を相互に承認するチベット・モンゴル相互承認条約を締結した。

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辛亥革命(1911年[US135]10月10日〜1912年[US136]2月12日)について、中華民国としては、「大清帝国の領土をそのまま維持する共和国」であると言う立場を主張していた。

モンゴル民族、チベット民族としては、大清帝国の滅亡すなわち民族としてチャイナから独立したいと言う点で共通の利益があった。従って、チベット・モンゴル相互承認条約を締結(1913年[US137]1月11日)し、独立自治権と統治権をお互いに承認し、かつ、その独立を国際的に承認して貰う効果を狙ったのである。

ボグド・ハーンとは、外蒙古の君主すなわちモンゴル最高の活仏であるジェプツンダンバ・ホトクト8世のことである。外蒙古の独立(1911年[US135]12月29日)と同時に君主に推戴されていた。

ガンデンポタンとは、 ダライ・ラマを元首とするチベットの政府である。この当時のダライ・ラマは13世のトゥプテン・ギャツォであった。現在のダライ・ラマは14世のテンジン・ギャツォであるから先代と言う非常に近い過去の話である。

 

文責:鵄士縦七