Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

イギリスの地政学20:1888.4.18イギリス東アフリカ会社の設立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はイギリスの地政学として、イギリス東アフリカ会社の設立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 

1888年[US112]4月18日 イギリスはイギリス東アフリカ会社を設立。現在のケニアにあたる地域の植民地化に着手した。

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後にイギリス領東アフリカが成立するのであるが、ベルリン会議(Kongokonferenz、1884年[US108]11月15日〜1885年[US109]2月26日)が終わった後に、ドイツ領東アフリカやドイツ領ヴィトゥを相次いで成立させたドイツ第二帝国とイギリスとの間のケニア(ケニア - Wikipedia)を巡る争いが激しくなっていくことに関連して、1888年4月18日イギリス東アフリカ会社(Imperial British East Africa Company - Wikipedia)が設立された。

背景には、エジプトから南下してきているイギリスの縦断政策の他に、ザンジバルすなわちオマーン帝国からイギリスに対する助勢の依頼があった。

ドイツ領東ドイツを成立させたドイツは、ザンジバル(オマーン帝国)をアフリカ大陸東海岸から追い払いたかった。加えて、逃亡奴隷の保護などでザンジバル(オマーン帝国)と敵対するヴィトゥをドイツ領ヴィトゥとしたのだ。

これらの動きに対抗するため、ザンジバル(オマーン帝国)は、イギリスに軍事援助と外交交渉を依頼し、イギリスがこれを受諾したというわけである。

 

イギリス領東アフリカには、ケニア共和国(ケニア - Wikipedia)とウガンダ共和国(ウガンダ - Wikipedia)が含まれるが、エチオピアとタンザニアに南北を挟まれている。

 

以下のWikipediaを参照しました。

 

文責:鵄士縦七