Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

【再掲】イギリスの地政学13:1904.4.8英仏協商

【再掲にあたっての備忘録】1902年[US126]1月30日イギリスとニッポンが第1次日英同盟を締結した。日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)が勃発して2ヶ月、イギリスはフランス第三共和政と英仏協商(Entente Cordiale)を締結した。

 日露戦争で事実上ロシアと戦端を開いたイギリスが欧州列強の中でフランス第三共和政と組むという大人の選択をしたのだ。

フランスはロシアと露仏同盟(1891年[US115]公然化、1894年[US118]締結)を締結しているものの、ドイツ第二帝国に対抗するためにイギリスと友好的な関係を築くことには大きなメリットがあるところを突いたということだろう。

可能性としては、秘密条約である仏伊協商(1902年[US124]締結)の事実をイギリスが把握していて、フランス第三共和政が共に三国同盟に対抗するパートナーとして最適という判断をしたかもしれない。

書いていてSynmeが思ったけれど、三国同盟を挟み込む露仏同盟がある状況でイギリスとロシアが対立すると、フランスとしては三国同盟とイギリスに挟撃されるかもしれないという懸念が生じるのが当然だろう。その懸念を払拭するという意義も大きかったようにSynmeは思う。

 

極東で新興国ニッポンがロシアとの戦端を開いて2ヶ月。イギリスの外交方針が大きく変わる。今回は英仏協商を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1904年[US128]4月8日イギリスとフランス第三共和政は英仏協商を締結し、エジプトとモロッコの権益を相互承認し、タイを緩衝地帯とすることに合意した。

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1904年[US128]4月8日イギリスはフランス第三共和政と英仏協商(Entente Cordiale)を締結し、 以下の点について合意した。

  • イギリスのエジプトにおける権益、フランスのモロッコにおける権益を互いに承認すること
  • タイを植民地化せず、イギリスとフランスの植民地の間の緩衝地帯とすること
  • フランスは自由にスエズ運河を通行できること

タイミング的に、日露戦争の勃発を契機として締結された条約であるが、その真意は「露仏同盟と日英同盟をそれぞれ締結している中、日露戦争が起こりましたね。ですが、ドイツ第二帝国に対抗しなければいけない観点から互いに対立するわけには行かないですよね?ここはひとつ、英仏両国の友好を実現すると同時にアフリカ及びインドシナにおける植民地で衝突が起こらないように調整してしまっておきましょう。」という感じだったのではないか?とSynmeは思う。イギリスもフランスも大人である。

イギリスとしては、光栄ある孤立を放棄してニッポンとすら組んだ以上、日英同盟があってロシアと一足飛びに同盟するわけに行かないとなると、対ドイツという意味ではフランスと組むしかなかったのが実情であろう。

 

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文責:鵄士縦七