Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

フランスの地政学42:1907.8.31英露協商の締結

フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回は英露協商の締結。最初に、クールにザックリまとめる。 

1907年[US131]8月31日、英露協商の締結。フランスはニッポンまで巻き込んで、英仏露でドイツに対抗する外交包囲網を短期間で完成させた。

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1907年[US131]8月31日フランスは遂に英露協商を成立させた。あまり説明は要らないとSynmeは思う。

フランス第三共和政は、第1次モロッコ事件(1905年[US129]3月31日、ドイツ第二帝国皇帝Wilhelm IIがモロッコの港湾都市タンジールを突如訪問してフランス第三共和政によるモロッコ支配を阻止しようとした)が起きてからたった2年半で対ドイツ包囲網を作り上げたのである。 

露仏同盟(1891年[US115]公然化、1894年[US118]公式に締結)と英仏協商(1904年[US128]4月8日)がベースにあったとは言え、犬猿の仲のニッポンとロシアをロシアの革命が終わってすぐにくっつけて、その翌月にはイギリスとロシアもくっついたわけである。

結果論になるかもしれないが、この時点でドイツ第二帝国とフランス第三共和政の勝負はフランスの勝ちに決している。唯一の盲点はアメリカの動向かもしれないが、フランスはアメリカの友好国である。

露仏同盟以降の三国協商絡みの記事を以下にまとめておく。

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文責:鵄士縦七