アメリカの地政学30:19世紀末インディアン戦争
革命戦争(1775年[bUS001]4月19日〜1783年[US007]9月3日)まで遡ってアメリカの地政学を学んできたが、米西戦争以前の最後の回として、インディアン戦争について学ぶ。インディアン戦争について学ぶと言っても、19世紀後半の戦闘をいくつか学ぶに留まる。最初に、クールにザックリまとめる。
19世紀後半、拡大した領土内において、アメリカはスー族、アパッチ族、ナバホ族などとインディアン戦争を続けていた。19世紀末(例えば、ウンデット・ニーの虐殺は1890年[US114])を境にインディアンによる大規模な抵抗は行われなくなった。
白人入植者によるインディアンの征服戦争を総称してインディアン戦争という。イギリスがアメリカ大陸への入植を始めた17世紀前半から、白人入植者は、植民地の安全確保と拡大のために、インディアン部族間の争いを利用し、代理戦争を行わせた。
19世紀後半、アメリカは、植民地の安全確保と拡大に加えて金鉱を求めて、インディアン戦争を継承していた。具体的には、大平原のスー族(ブラックヒルズ戦争(1876年[US100]~1877年[US101])、ウンデット・ニーの虐殺(1890年[US114]12月29日))や南西部の略奪民アパッチ族(Geronimoの抵抗・降伏(アパッチ戦争、1882年[US106]~1886年[US110]))、ナバホ族などのインディアンの最大抵抗勢力を排除していった。
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スー(Sioux)族は、アメリカ北部中西部に先住するインディアン部族である、ダコタ族、ラコタ族、およびナコタ族の総称。
ブラックヒルズ戦争はスー族の領土にあるブラックヒルズの金鉱を占領するため、アメリカが和平条約を破ってスー族、シャイアン族、アラパホー族インディアンに対して行ったインディアン戦争。
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アパッチ(Apache)族は、6つの文化的に関連のあるアメリカ・インディアン部族の総称。いずれも南アサバスカ語系の言語を話す。 アメリカはナバホ(Navajo)族をアパッチ族と混同・同視していたようだ。
南西部で最後の大規模な作戦計画にアメリカ軍は5,000名の兵士を投入した。この作戦でアパッチ族のGeronimoと24名の戦士、女子供が1886年に降伏し南西部で最後の大規模な作戦計画は5,000名の兵士を投入した。この作戦でアパッチ族のジェロニモと24名の戦士、女子供が1886年に降伏した。
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ナバホ族(Navajo)は、アメリカの南西部に先住するインディアン部族。アサバスカ諸語を話すディネの一族。ナバホ族はアリゾナ州の北東部からニューメキシコ州にまたがるフォー・コーナーズの沙漠地帯に、一定の自治権を保有した「ナバホ・ネイション (Navajo Nation)」として、アメリカ最大の保留地(Reservation)を領有している。ロング・ウォークでナバホ族が南西部から追い出された間に、彼らの土地にはホピ族の一部が定住した。このため、現在ではナバホ族の保留地の中に、ホピ族の保留地が存在するという状況となっている。
Lincoln大統領は、1863年夏、保留地に入ることを拒んで抵抗戦を続けていたナバホ族の殲滅を命じた。アメリカ軍は焦土作戦でナバホ族の力を削いだ。1864年[US088]、アメリカ軍はナバホ族をサムナー砦の収容所ボスク・ルドンドまで、「ロング・ウォーク・オブ・ナバホ」と呼ばれる、徒歩連行を強制した。8,000人が収容され強制労働に従事させられ、1868年に和平協定で元の土地に戻るまでに、2000人のナバホ族が死んだ。
文責:鵄士縦七