ニッポンの地政学22:1895.5.29-11.18台湾平定(乙未戦争)
ニッポンの地政学を学ぶ。今回は台湾平定(乙未戦争)。Synmeは日清戦争に関連していくつか学んで来たが、直接の因果関係がある事項としてはこれで一段落。最初に、クールにザックリまとめる。
割譲されたにもかかわらず台湾民主国の独立が宣言されるなどしたため、1895年[US119]5月から11月にかけてニッポンは台湾を平定した(乙未戦争)。
残敵掃討戦として、日清戦争の一部として取り扱う見方もあるようだ。
遼東半島を失った代わりと言っては何だけれども、Synmeが思うに三国干渉でハッピーだったロシア、ドイツ第二帝国、フランス第三共和政がそこまで重要視しなかったがために、ニッポンは台湾を無事割譲することができた。
琉球帰属問題をクリアにする効果があった馬関条約による台湾割譲、現在のニッポンを形作る上で、一時的に台湾を領土としたことは非常に大きな意義があるとSynmeは考える。少なくとも、琉球がニッポンに帰属することは形式的にも実質的にも台湾平定で画定したのだから。
簡単に台湾平定(乙未戦争、1895年5月29日〜11月18日)の概要を学ぶ。
ニッポンへの割譲が決定したにもかかわらず、その阻止を目論んで台湾民主国の独立宣言がされたので、ニッポン軍は5月29日に上陸した。掃討戦が行われたが、6月2日には台湾授受の手続きを行い、ニッポンは台湾を正式に領有。台湾民主国の首脳は島外に逃亡したため6月14日には台北が無血開城された。ニッポン軍は各地で抵抗に遭いながら南下、10月21日までに掃討戦は終了して10月22日に台南に入城した。そして、11月18日にニッポンは全島平定を宣言した。
文責:鵄士縦七