Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学49:1911.2.21新・日米通商航海条約の締結

第1期グレートゲーム(The Great Game)終結後のニッポンの地政学を学ぶ。今回は新・日米通商航海条約の締結。最初に、クールにザックリまとめる。 

1911年[US135]2月21日ニッポンはアメリカと新・日米通商航海条約を署名し、関税自主権の完全回復を達成した。加えて、ニッポン人移民に対する留保規定も撤廃された。

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日米通商航海条約(1894年[US118]11月22日署名、1899年[US123]7月17日発効)は発効の12年後の1911年[US135]7月16日に満期日を迎える予定だった。

明治ニッポンは、1909年[US133]に欧米列強各国との条約完全改正の方針を閣議決定し、1910年[US134]に各国に廃棄通告を行なった。そして、同年1月から同盟国イギリスとの新・通商航海条約に関する改正交渉が始まり、4月からアメリカとも改正交渉を開始していた。

日英通商航海条約と同じく、日米通商航海条約によって治外法権撤廃が達成されていたが、新・日米通商航海条約(1911年[US135]2月21日署名、同年4月4日発効)によって遂に関税自主権の完全回復が達成された。

明治ニッポンは、日清戦争(1894年[US118]7月25日〜1895年[US119]4月17日)の前後で日英通商航海条約(1894年[US118]7月16日署名)等を締結して治外法権撤廃を達成し、日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)に勝利して新・日米通商航海条約(1911年[US135]2月21日署名)等を締結して関税自主権の完全回復を達成したわけだ。日米修好通商条約(1858年[US082])等の不平等条約が江戸幕府によって締結されてから約50年、よくぞ2つの大戦に勝利した。これらの勝利がなければ、その後のニッポン現代史は大きく違っていたことは間違いない。

話は脱線するけれど、サッカー日本代表の関連で、『絶対に負けられない戦いがそこにはある』と言っているのをよく聞く。Synmeに言わせれば、ニッポンのサッカー代表は国力に比して弱すぎるし、『絶対に負けられない戦い』によく敗けている。野球のイチローさん、ダルビッシュ有さん、大谷翔平さん、水泳の北島康介さん、体操の内村航平さん、フィギアスケートの羽生結弦さん、テニスの錦織圭さん、卓球の張本智和さん等の個人での活躍と比較すると、いかに組織としての現代ニッポン人が弱いかを示す典型だと思う。個々の天才を排出することも非常に重要だし、サッカーに代表されるような全世界的に競技人口の多い団体スポーツで強いことも非常に重要だと思う。それに比べれば、明治ニッポンの強かったこと…

政治力・外交力を含めた冷静な国力比較(当然ながらその時々の相対的な国力)を明治ニッポン、大正ニッポン、昭和ニッポン、戦後ニッポンで比較するような冷静な視点・分析が現代ニッポン外交に必要なのではないか?とSynmeは思う。

さて、新・日米通商航海条約については、もう一点学んでおく必要がある。 元の日米通商航海条約では、アメリカはニッポン人移民の入国・旅行・居住 に対して差別的立法をなしうる留保規定が定められていたが、新・日米通商航海条約では当該留保規定が削除された。この後、アメリカにおける排日の動きが1つの鍵となるので、この点も押さえておきたい。

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文責:鵄士縦七