ニッポンの地政学32:1904.8.22第1次日韓協約
日露戦争に関連してニッポンの地政学を学ぶ。今回は第1次日韓協約の締結。最初にクールにザックリまとめる。
日露戦争における朝鮮半島の戦闘に既に勝利していたニッポンは1904年[US128]8月22日大韓帝国と第1次日韓協定を締結して、大韓帝国が他国と勝手な外交を行わない様に監視すると共に、同国への貨幣制度の整理に努めた。
日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)が勃発して約3ヶ月、鴨緑江会戦(おうりょくこうかいせん、1904年[US128]4月30日、5月1日)に勝利するなど、ニッポン軍は朝鮮半島におけるロシア陸軍との戦闘に勝利していた。以降、ニッポン軍は鴨緑江を渡河して満州へと侵攻することとなる。
朝鮮半島を掌握したニッポンは大韓帝国と第1次日韓協定(1904年[US128]8月22日)を締結。ニッポン政府がニッポン人を財務顧問に、外国人を外交顧問として大韓帝国に派遣することに合意した。加えて、外交については日本政府と協議の上で決定することとされた。ちなみに外交顧問にはアメリカ駐日公使館顧問が就任した。
協約の全文は以下の通り。
- 韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル日本人一名ヲ財務顧問トシテ韓国政府ニ傭聘シ財務ニ関スル事項ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ
- 韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル外国人一名ヲ外交顧問トシテ外部ニ傭聘シ外交ニ関スル要務ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ
- 韓国政府ハ外国トノ条約締結其他重要ナル外交案件即外国人ニ対スル特権、譲与若ハ契約等ノ処理ニ関シテハ予メ日本政府ト協議スヘシ
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文責:鵄士縦七