Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学34:1905.7.29桂・タフト協定

日露戦争に関連して、ニッポンの地政学を学ぶ。今回は桂・タフト協定を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1905年[US129]7月29日ニッポンはアメリカと桂・タフト協定を秘密裏に結び、アメリカのフィリピンでの権益、ニッポンの大韓帝国での権益を相互に承認した。

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日本海海戦(1905年[US129]5月27-28日 )にニッポンが勝利すると、「下馬評」はニッポン優勢に大きく傾いたようだ。日露戦争の終結を待たずに、ニッポンに有利な外交が進んでいくことになる。

何度でも言うべき地政学上の重要なポイントは、戦争と外交は常に相互を強化ないし補完する機能を果たすと言うことだ。

日露戦争を学んだときにも書いた通り、この観点で日露戦争は評価できる。少なくとも、大東亜戦争とは比較にならないほど戦争と外交が相互作用している。話が飛ぶけれども、熟達した外交力が伴わなければ戦争にどれだけ強くても敗戦国となるという真理は、ロシア、ドイツ、ニッポンの地政学を学べば一目瞭然だろう。

さて、桂・タフト協定を学ぶ。まず、この協定は秘密協定であったようだ。実際、6月6日にはアメリカの勧告に従い、ロシアと日本は和平協定を開始している。建前上アメリカは中立な仲介者であったわけである。

次に、言うまでもないことだが、第1次日英同盟の締結(1902年[US126]1月30日)を前提とすると、アメリカは桂・タフト協定によってイギリスへの支持を表明することにもなると言うことだ。

加えて、米比戦争(1899年[US123]2月4日〜1902年[US126]7月1日)が既に終結しており、アメリカとしてはアジアでの外交戦略を改めて展開し始める時期だったことも影響しているとSynmeは思う。

前置きが長くなったが、桂・タフト秘密協定(1905年[US129]7月29日締結)の内容は以下の通り。

  • ニッポンはアメリカのフィリピンにおける権益を承認する
  • アメリカはニッポンの大韓帝国における権益を承認する
  • 東アジアの平和は、ニッポン、イギリスにアメリカを加えた3国の事実上の同盟によって維持されるべきである

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文責:鵄士縦七