イギリスの地政学15:1907.8.31英露協商
ようやく第1期グレートゲーム(The Great Game)が終結する。今回は英露協商の締結をイギリスの地政学として学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。
1907年[US131]8月31日、英露協商の締結。イギリスは、ロシアのバルカン半島南下を黙認することで、英仏露でドイツに対抗する外交包囲網を完成させた。
英露協商(Anglo-Russian Convention)によってイギリスは何を得たか?
イギリスは日本を使って極東でのロシア南下を防いだ(日英同盟、日露戦争)上で、英露協商を締結している。同協商によってイラン/アフガニスタンでのロシア南下を防ぎ、かつ、ロシアのバルカン半島南下を黙認することでロシアとドイツ&オーストリア=ハンガリーを衝突させる絵を描いたのである。しかも対独包囲網は、英仏露(三国協商)+日の4列強体制で万全であった。
英露協商は1907年[US131]8月31日に締結された。その内容は以下の通り。
- イラン(ペルシア)については、北部をロシアの勢力範囲とし、南部をイギリスの勢力範囲とし、中立地帯を設ける
- アフガニスタンはイギリスの勢力圏であることを、ロシアは承認する。ただし、イギリスのアフガニスタン統治は平和的でロシアに敵対しないものとする
- チベットについては、ロシアもイギリスもその内政に干渉しない
イギリスとロシアは、アジアにおける勢力範囲を相互承認することで長年の対立関係を解消した。つまり、この英露協商の締結をもって1813年[US037]に始まった第1期グレートゲーム(The Great Game)が終結した。
1813年[US037]は、第1次イラン・ロシア戦争(1804年[US028]〜1813年[US037]10月24日)にロシアが勝利し、ゴレスターン条約が締結された年である。ロシアはグルジア(ジョージア)と北アゼルバイジャンを獲得した。 イランの弱体化によってイギリスとロシアとの対立が始まったわけである。
文責:鵄士縦七