Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

近現代ニッポンの践祚・即位05:2019.4.30前天皇明仁の退位

ようやく現在まで追いついた。明治以降のニッポンの践祚・即位について簡単に確認している。今回は前の天皇明仁(あきひと)の退位。最初に、クールにザックリまとめる。 

2019年[US243]4月30日前天皇明仁が退位した。 

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2019年[US243]4月30日前天皇明仁が退位した。1989年[US213]1月7日の即位以来、前天皇明仁は約30年間在位したわけである。 

今年のゴールデン・ウィークは平成を振り返るテレビ番組で溢れている。どうやら、ニッポンの世間では、「平成の30年間は戦争のない平和な時代だった」と振り返る意見が大勢のようである。

まだまだ不勉強なので偏っているかもしれないが、Synmeなりに平成の時代をまとめてみる。

平成は、冷戦終結とバブル崩壊により幕を開けた。そして、いずれに対しても主体的に対応しないままにコトナカレ主義で過ごし続けたニッポンは、政治的な意味でも経済的な意味でも国際的な地位を大きく下げた。

冷戦終結は東アジアにおける共産主義に対する防波堤としてのニッポンの重要性を相対的に低下させたし、バブル崩壊は世界全体の時価総額に占めるニッポンの時価総額を大幅に低下させグローバル企業のアジアHQは東京と香港ないしシンガポールのニ拠点体制から香港ないしシンガポールの単一拠点体制に移行した。

どちらも平成の初期から分かっていたことだ。分かっていてニッポンは手を打たなかった、それが「空白の20年」である、とSynmeは思う。追い討ちをかけるようにオウム真理教の事件が相次ぎ、阪神・淡路大震災などの天災も相次いだ。

この「空白の20年」の挙句、民主党政権下で2010年[US234]に尖閣諸島中国漁船衝突事件が起こり、チャイナによるニッポン領土の侵略が現実となるかと思われたタイミングで翌2011年[US235]に東日本大震災が起こり、2012年[US236]末に安倍晋三政権が誕生。アベノミクスが始まった。そして、政治的・経済的なニッポンの国際的地位の更なる低下をなんとか防いだ。少なくとも一時的には。

しかし、中国海軍レーダー照射事件が起こり、南シナ海問題問題が公然化するなどチャイナの脅威は現在も継続している。

また、株価は戻してきたものの、ニッポンの本格的な経済的回復は未だ果たせていない。ただし、TPP 11や日EU EPAの発効は明るい材料ではある。というか、この2つの条約の締結・発効はニッポン外交史上の歴史的偉業だとSynmeは思う。なぜか、肯定的に報道するマスメディアは少ないけれど…

平成とは、ニッポンが危機的な状況に陥りそうになったところ、なんとかギリギリ持ち堪えた時代であった。およそ、「戦争がなくてよかった」等と総括している場合ではないのだ。

チャイナの覇権主義が明らかになる中で、自由主義陣営におけるニッポンの国際政治における相対的な重要性は高まっている。そして、外国人観光客数は順調に伸び、TPP 11および日EU EPAはニッポンの国際経済上の重要性を高めている。また、オリンピックや万博などの招致にも成功した。

危機的状況を招くまでにニッポンを低下させた平成の時代。その事実を冷徹に受け止めつつ、その平成が遺した上記チャンスを外交的・経済的に活かしていくことができるか? 現代ニッポンは国際的地位を保ち、貧しい国となるピンチを回避し得る最後のチャンスをモノにできるのか?

これが令和ニッポンが置かれている状況だとSynmeは思う。

令和10年までにニッポンの状況が大きく好転していない場合、令和ニッポンの将来は暗いのではないかとSynmeは恐れている。

 

Synme備忘用のニッポンの年表【平成】:

  • 1989年[US213]1月7日:明仁親王が即位
  •    1月8日:平成に改元
  •    6月4日:チャイナにおいて六四天安門事件
  •    11月4日:坂本堤弁護士一家殺害事件
  •    11月9日:ベルリンの壁崩壊
  •    12月2日〜3日:マルタ会談が行われ、冷戦が終結
  •    12月29日:日経平均株価が最高値(終値ベース)38,915円87銭
  • 1990年[US214]:バブル崩壊
  • 1994年[US218]6月27日:松本サリン事件
  • 1995年[US219]1月17日:阪神・淡路大震災の発生
  • 1995年[US219]3月20日:地下鉄サリン事件
  • 2002年[US226]5月31日〜6月30日:日韓サッカー・ワールドカップの開催 ※初開催
  • 2004年[US228]10月23日:新潟県中越地震の発生
  • 2005年[US229]3月25日〜9月25日:「愛・地球」博の開催 ※1970年大阪万博以来35年振り
  • 2008年[US232]9月15日:リーマンショック
  • 2010年[US234]9月7日:尖閣諸島中国漁船衝突事件
  • 2011年[US235]3月11日:東日本大震災の発生
  • 2012年[US236]12月26日〜:アベノミクス(第2次安倍晋三内閣発足)
  • 2013年[US237]1月30日:中国海軍レーダー照射事件
  • 2014年[US238]3月18日:ロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入
  • 2014年[US238]5月15日:南シナ海問題の公然化
  • 2016年[US240]4月14日:熊本地震の発生
  • 2016年[US240]7月12日:南シナ海判決(オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は九段線で囲まれる海域についてチャイナの主張を全面的に否定)
  • 2018年[US242]6月28日〜7月8日:平成30年7月豪雨の発生
  • 2018年[US242]12月30日:TPP11(環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定)発効
  • 2019年[US243]2月1日:日EU EPA(経済上の連携に関する日本国と欧州連合との間の協定)発効
  • 2019年[US243]4月30日:前天皇明仁退位 

 

文責:鵄士縦七

  

近現代ニッポンの践祚・即位04:1989.1.7昭和天皇崩御/明仁親王即位/平成に改元

ひきつづき、明治以降のニッポンの践祚・即位について簡単に確認しておく。今回は昭和天皇の崩御、明仁親王の即位そして平成への改元。最初に、クールにザックリまとめる。  

1989年[US213]1月7日昭和天皇が没し、明仁親王が即位。翌8日より平成と改元された。この年は6月4日の六四天安門事件、11月9日のベルリンの壁崩壊、12月2日〜3日のマルタ会談による冷戦終結など激動の年であった。ニッポンは翌1990年[US214]にバブルが崩壊した。

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1989年[US213]1月7日昭和天皇が没し、明仁親王が即位した。天皇明仁は、日本国憲法および現皇室典範下で初めて「即位」した天皇であった(昭和天皇までは践祚と言った)。

そして、翌8日より平成と改元された。これも、これまでの同日中に崩御・践祚・改元がされたのとは異なっている。

1989年[US213]はまさに激動の年であった。以下に列挙する。ポーランドからハンガリー、壁崩壊(Mauerfall:ドイツ語)、チェコスロバキア、ルーマニアに至る一連の民主化は東欧革命と呼ばれている。なお、ニッポンはバブルに沸き、大納会(12月29日)に株価は最高値(終値ベース)38,915円87銭を付けたが、翌1990年[US214]にバブルが崩壊した。

  • 2月2日〜15日:ソ連軍がアフガニスタンから撤退
  • 2月6日〜4月5日:ポーランドで円卓会議
  • 5月:チャイナとソビエト社会主義共和国連邦の国交正常化
  • 6月4日:チャイナにおいて六四天安門事件が勃発
  • 9月7日:ポーランド第三共和国が成立
  • 10月23日:ハンガリー第三共和国が成立
  • 11月9日:ベルリンの壁崩壊
  • 11月17日〜27日:チェコスロバキア社会主義共和国でビロード革命
  • 12月2日〜3日:アメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦両国の首脳会談(マルタ会談)が行われ、冷戦が終結した
  • 12月25日:ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻に死刑判決。即日銃殺刑に処せられた

昭和天皇の在位は1926年[US150]12月25日〜1989年[US213]1月7日、約62年間だった。在位期間中、大東亜戦争(盧溝橋事件1939年[US163]7月7日〜降伏文書調印1945年[US169]9月2日)に敗北した。この戦争において、アメリカは2度原子爆弾をニッポンに投下した。1945年[US169]8月6日午前08時15分B-29エノラゲイが広島にウラン235を使用する原子爆弾リトルボーイを投下、90,000ないし120,000人が死亡した。続けて1945年[US169]8月9日午前11時02分B-29ボックスカーが長崎にプルトニウム239を使用する原子爆弾ファットマンを投下、約74,000人が死亡した。

ニッポンは、1952年[US176]4月28日に国際社会に復帰した(サンフランシスコ平和条約署名1951年[US175]9月8日、発効1952年[US176]4月28日)。なお、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も各同日に署名、発効している。昭和天皇は、戦後復興期、高度経済成長期を経て、ちょうどバブル崩壊の1年前に崩御したことになる。

最後に、今上天皇徳仁との関連でニッポンで開催されたオリンピックと万博を確認しておこう。

そもそもニッポンは1940年[US164]の東京オリンピックの開催権を返上している。理由は改めて書くまでもないだろう。歴史のタラレバを言っても仕方ないけれど、ニッポンに1940年東京オリンピックを平和裡に開催する外交力があったなら、と思う。さて、1964年東京オリンピックは1940年[US164]10月10日〜24日に開催された。

そして、1970年大阪万博は1970年[US194]3月15日〜9月13日まで開催された。

 

Synme備忘用のニッポンの年表【昭和】:

  • 1926年[US150]12月25日:昭和天皇即位
  • 1931年[US155]9月18日〜1933年[US157]5月31日:満州事変
  • 1933年[US157]2月24日:国際連盟脱退の意思表明
  • 1939年[US163]7月7日:大東亜戦争勃発(盧溝橋事件)
  •    9月1日:第二次世界大戦勃発(ドイツのポーランド侵攻)
  • 1945年[US169]5月4日:イタリア降伏
  •    5月9日:ドイツ降伏
  •    8月6日:アメリカ軍が広島に原爆投下
  •    8月9日:アメリカ軍が長崎に原爆投下
  •    9月2日:大東亜戦争に敗北(降伏文書に調印)第二次世界大戦終結
  • 1952年[US176]4月28日:国際社会に復帰(サンフランシスコ平和条約発効)
  • 1964年[US188]10月10日〜24日:1964年東京オリンピック開催
  • 1970年[US194]3月15日〜9月13日:1970年大阪万博開催
  • 1989年[US213]1月7日:昭和天皇崩御

 

文責:鵄士縦七

  

近現代ニッポンの践祚・即位03:1926.12.25大正天皇崩御/昭和天皇践祚

ひきつづき、明治以降のニッポンの践祚・即位について簡単に確認しておく。今回は大正天皇の崩御と昭和天皇の践祚。最初に、クールにザックリまとめる。  

1926年[US150]12月25日大正天皇が没し、昭和天皇が践祚した。  

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1926年[US150]12月25日大正天皇が没し、昭和天皇が践祚した。

大正天皇の在位は1912年[US136]7月30日〜1926年[US150]12月25日、約14年間だった。在位期間中、ニッポンは第一次世界大戦(1914年[US138]7月28日〜1918年[US142]11月11日)で戦勝国側となった。しかし、イギリスおよびロシア両国との軍事同盟を失い、国際連盟に人種差別撤廃提案をするも否決されるなど、外交的に孤立してしまった。

また、シベリア出兵(1918年[US142]8月2日〜1925年[US149]5月15日)があり、関東大震災(1923年[US147]9月1日11時58分32秒ごろ)の発生があった。シベリア出兵については、Synmeは第一次世界大戦の後に学ぶ予定。

 

Synme備忘用のニッポンの年表【大正】:

  • 1912年[US136]7月30日:大正天皇即位
  • 1914年[US138]7月28日〜1918年[US142]11月11日:第一次世界大戦
  • 1917年[US141]3月8日〜12日:ロシアとの軍事同盟が事実上終了(ロシア2月革命)
  • 1918年[US142]8月2日〜1925年[US149]5月15日:シベリア出兵
  • 1919年[US143]1月14日:ニッポンが国際連盟に人種的差別撤廃を提案 ※否決される
  • 1921年[US145]11月12日〜1922年[US146]2月6日:イギリスとの軍事同盟が終了(ワシントン会議、日英同盟解消)
  • 1923年[US147]9月1日:関東大震災の発生
  • 1926年[US150]12月25日:大正天皇崩御

 

文責:鵄士縦七

  

近現代ニッポンの践祚・即位02:1912.7.30明治天皇崩御/大正天皇践祚

直近までSynmeが学んでいたGreat Game終焉に関連するニッポンの地政学が明治天皇の崩御で区切りとなる。また、現代ニッポンにおいても2019年5月1日に令和に改元されたばかりである。タイミングがいいので、明治以降のニッポンの践祚・即位について簡単に確認しておく。今回は明治天皇の崩御(ほうぎょ)と大正天皇の践祚(せんそ)。最初に、クールにザックリまとめる。  

1912年[US136]7月30日明治天皇が没し、大正天皇が践祚した。 関税自主権を回復した翌年、第一世界大戦勃発の前年のことであった。 

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1912年[US136]7月30日明治天皇が没し、大正天皇が践祚した。

第一次世界大戦(1914年[US138]7月28日〜1918年[US142]11月11日)が勃発するが、ちょうど1年前のことであった。

明治天皇の在位は1867年[US091]2月13日〜1912年[US136]7月30日、約45年間だった。在位期間中、日清戦争(1894年[US118]7月25日〜1895年[US119]4月17日)に勝利し、日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)に勝利し、治外法権の撤廃(日英通商航海条約署名1894年[US118]7月16日、効力発生1899年[US123])および関税自主権の回復(新・日米通商航海条約署名1911年[US135]2月21日、効力発生4月4日)を達成した。 

 

Synme備忘用のニッポンの年表【明治】:

  • 1867年[US091]2月13日:明治天皇践祚
  • 1868年[US092]1月3日:王政復古の大号令
  • 1894年[US118]7月16日:治外法権の撤廃(日英通商航海条約署名)
  •    7月25日:日清戦争勃発
  • 1895年[US119]4月17日:日清戦争に勝利(馬関条約)
  • 1902年[US126]1月30日:イギリスと第1次日英同盟を締結 
  • 1904年[US128]2月8日:日露戦争勃発
  • 1905年[US129]9月5日:日露戦争に勝利(ポーツマス条約)
  • 1907年[US131]7月30日:ロシアと第1次日露協約の締結
  • 1911年[US135]2月21日:関税自主権の回復(新・日米通商航海条約署名)
  • 1912年[US136]7月30日:明治天皇崩御

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文責:鵄士縦七

   

近現代ニッポンの践祚・即位01:1867.2.13孝明天皇崩御/明治天皇践祚

直近までSynmeが学んでいたGreat Game終焉に関連するニッポンの地政学が明治天皇の崩御で区切りとなる。また、現代ニッポンにおいても2019年5月1日に令和に改元されたばかりである。タイミングがいいので、明治以降のニッポンの践祚・即位について簡単に確認しておく。今回は孝明天皇の崩御(ほうぎょ)と明治天皇の践祚(せんそ)。最初に、クールにザックリまとめる。  

1867年[US091]2月13日孝明天皇が没し、明治天皇が践祚した。 これを機に、薩摩藩、長州藩に倒幕の密勅を下すべく工作が進められたが、将軍徳川慶喜が機先を制して11月9日に大政奉還を奏上した。

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1867年[US091]2月13日孝明天皇が没し、明治天皇が践祚した。

これを機に薩摩藩、長州藩に倒幕の密勅を下すべく工作が進められた。賊軍となる事態を回避するために、11月9日江戸幕府征夷大将軍徳川慶喜が大政奉還を奏上。翌11月10日に明治天皇がこれを勅許した。

これを受けて1868年[US092]1月3日王政復古の大号令が発せられて明治政府による天皇親政が始まった。ちなみに、実際の改元は1868年[US092]10月23日になされ、遡って1月25日が明治元年1月1日とされた。

孝明天皇が崩御するタイミングが違っていたら大政奉還(1867年[US091]11月9日)はなされていなかったかもしれないと言うことだ。

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文責:鵄士縦七

 

 

 

 

Synmeのテニス Feedback-Loop20190429

 

文責:鵄士縦七

  

 

地政学を学ぶフレームワーク20

しばらく書けていなかったけれど、令和初日に再開する。

1月下旬から日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)以降のニッポンの地政学を学んできた。

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世界的な視点からは、日露戦争(1904年[US128]〜1905年[US129]9月5日)を契機とするGreat Gameの終焉すなわち英露協商の締結(1907年[US131]8月31日)がこの時代の最も重大な地政学上のイベントであった。

Synmeはロシアの地政学およびニッポンの地政学を中心としてGreat Gameの終焉に至る過程を学んだ。

しかし、ドイツ第二帝国の台頭に対応するためのフランス第三共和政の戦略的な外交が英露協商の締結(1907年[US131]8月31日)を実現する背景にあったため、Synmeは、改めてこの時代のフランスの地政学を学んだ。併せてアフリカ侵略を学ぶ機会にもなった。

一方、ニッポンの地政学としては次回学ぶ予定である明治天皇崩御/大正天皇践祚(1912年[US136]7月30日)に至るニッポンの国際外交デビューの時期であった。言うまでもないが、関税自主権の回復(新・日米通商航海条約の締結(1911年[US135]]2月21日)、新・日英通商航海条約の締結(1911年[US135]4月3日))をようやく達成したのもこの時期である。従って、Synmeも英露協商の締結(1907年8月31日)を跨いでニッポンの地政学を学んできた。

そして、まだまだ不勉強だけれど、Synmeはチャイナ、モンゴル、チベットの歴史を併せて学んできた。チャイナで共和革命が起こったこと(辛亥革命(1911年[US135]10月10日〜1912年[US136]2月12日))のモンゴルとチベットへの影響とイギリスおよびロシアの関わりを学んできた。

次々回以降、Great Game終焉に至るフランスの地政学、明治時代末までのニッポンの地政学、チャイナ、モンゴル、チベットの歴史を整理・復習したい。

その上で、Great Game終焉の時期におけるドイツの地政学を学び、第一次世界大戦へと学習を進めていく予定である。

 

文責:鵄士縦七