ニッポンの地政学43:1906.11.26南満州鉄道株式会社の設立
少しだけ時計の針を巻き戻して、日露戦争の関連でニッポンの地政学を学ぶ。今回は、南満州鉄道株式会社の設立。最初に、クールにザックリまとめる。
1906年[US130]11月26日ニッポンは南満州鉄道株式会社を単独資本で設立、東清鉄道の南満州支線(長春〜大連)の鉄道施設・附属地および安奉線(安東(現丹東)〜奉天(現瀋陽))の鉄道施設・附属地の経営を担わせた。
日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日、ポーツマス条約)により、ニッポンは南満州の租借権(南満州支線、旅順、大連)を獲得した。
1906年[US130]11月26日ニッポンは南満州鉄道株式会社(The South Manchuria Railway Co., Ltd.)を設立、東清鉄道の南満州支線(長春〜大連)の鉄道施設・附属地および安奉線(安東(現丹東)〜奉天(現瀋陽))の鉄道施設・附属地の経営を担わせた。
桂・ハリマン覚書(1905年[US129]10月12日)によりEdward Henry Harrimanとの共同経営の構想もあったが、同覚書は小村寿太郎の反対で破棄された。
結果的に、南満州鉄道はニッポン単独資本で設立された。具体的には、勅令(南満洲鉄道株式会社に関する件(明治39年勅令第142号))に基づき、半官半民の特殊会社として設立された。資本金2億円のうち、ニッポン政府は1億円を鉄道施設などで現物出資した。
1904年[US128]2月8日、日露戦争勃発。ニッポンはロシアに勝利し、ポーツマス条約を締結(1905年[US129]9月5日)。両軍が満州から撤退することに合意した上、ロシアはニッポンの朝鮮半島における優越権を認め、南樺太を割譲し、南満州の租借権(南満州支線、旅順、大連)を譲渡した。
1905年[US129]10月12日ニッポン政府とEdward Henry Harrimanは南満州鉄道の共同経営に関する覚書(桂・ハリマン覚書)を交わした。しかし、小村寿太郎の反対で、23日にはニッポン政府が同覚書を破棄した。
文責:鵄士縦七