フランスの地政学31:1881.4チュニジア侵攻、1881.5.12バルドー条約【復習】
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回はチュニジア侵攻を復習する。最初に、クールにザックリまとめる。
1881年[US105]4月フランス第三共和政がチュニジアに侵攻、勝利してバルドー条約(5月12日)を締結した。フランスはアルジェリアに次いでチュニジアを保護国化(防衛・外交権を獲得)して北アフリカにおける勢力を拡張した。
まず、不勉強なSynmeと同じ様にチュニジア - Wikipediaの位置が曖昧な人がいたら、地図を確認して欲しい。フランス第三共和政はアルジェリアから東に勢力を拡張したということである。
1878ベルリン会議(1878年[US102])6月13日〜7月13日)によってフランスの宗主権が列強に認められた。ここの経緯については、不勉強で、まだSynmeは詳細を学べていない。
フランス第三共和政は1881年[US105]4月にチュニジアに侵攻、1ヶ月少しで占領を終え、5月12日バルドー条約を締結してチュニジアの防衛・外交権を獲得して事実上の保護国化した。
改めてフランスのアフリカ侵略を概観したい。
既に直近で学んだ通り、19世紀半ばからセネガルを拠点に西アフリカの侵略が進んでいる。19世紀末からコンゴを拠点に中央アフリカの侵略が進んでいる。そんな中、チュニジア侵略によって北アフリカの侵略がまた一歩進展したわけである。
Synme自身の学習の整理のために、フランスのアフリカ侵略についてのここまでの学習履歴を再掲する。
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1878年のベルリン条約についての過去の学習も再掲する。
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最後に、チュニジア侵攻についての前回の学習も再掲しておく。
文責:鵄士縦七