2018-01-01から1年間の記事一覧
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は咸臨丸の米国派遣。最初に事実だけ。 1860年[US084]日米修好通商条約の批准書交換のため、咸臨丸がPawhatanと共に太平洋を渡った。 1860年…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日仏修好通商条約。最初に事実だけ。 1858年[US082]10月フランスと江戸幕府は日仏修好通商条約を締結した。 1858年[US082]10月9日江戸幕府…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日英修好通商条約。最初に事実だけ。 1858年[US082]8月イギリスと江戸幕府は日英修好通商条約を締結した。 1858年[US082]8月26日江戸幕府…
ここのところドイツの地政学を学んで来ているが、アフリカの絡みでフランス、イギリスも学ぶ必要がある。今回はフランスが快勝したチュニジア侵攻を学ぶ。最初に事実だけ。 1881年[US105]フランス第三共和政がチュニジアに侵攻。フランスが勝利してバルドー…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日露修好通商条約。最初に事実だけ。 1858年[US082]8月ロシアと江戸幕府は日露修好通商条約を締結した。 1858年[US082]8月19日江戸幕府と…
ここのところドイツの地政学を学んで来ているが、アフリカの絡みでイギリス、フランスも学ぶ必要がある。今回はイギリスが惨敗した第1次ボーア戦争を学ぶ。最初に事実だけ。 1880年[US104]南アフリカにおいてイギリスがトランスヴァール共和国を併合しようと…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日蘭修好通商条約。最初に事実だけ。 1858年[US082]8月オランダのクルティウスと江戸幕府は日蘭修好通商条約を締結した。 1858年[US082]8…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はアロー戦争を契機として結ばされた日米修好通商条約の締結。最初に事実だけ。 1858年[US082]7月アメリカのハリスと江戸幕府は日米修好通商…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回は日蘭和親条約の締結。最初に事実だけ。 1856年[US080]オランダ外交官クルティウスと江戸幕府は日蘭和親条約を締結、正式に国交が結ばれた。オランダ人が出島から外出することが許され…
ドイツの地政学を学んでいるが、ドイツ帝国の統一過程に並走する形で国際情勢に登場し始めているイタリア王国、その前身としてのサルデーニャ王国について簡単にまとめておく。 サルデーニャ王国は第1次イタリア独立戦争ではオーストリアに敗北するものの、…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はプチャーチンの再々来航。真摯なロシアは不本意ながら、アメリカ、イギリスに次いで三番手となってしまうが、津波に襲われながらも日露和…
ドイツ帝国の地政学、ドイツ統一後は「戦わない」ための同盟外交がOtto von Bismarckによって展開される。今回は独墺同盟を学ぶ。事実だけ記載する。 ロシアに対抗するため、1879年[US103]ドイツはオーストリアと独墺同盟を締結した。 1879年[US103]10月7日…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はイギリスのスターリング来航。今回も外国船の拿捕が目的。イギリスとロシアがクリミア戦争で交戦中だったところ、プチャーチンのロシア艦…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はロシアのプチャーチン再来航。ペリー再来航の前でありロシアとニッポンの間の条約締結交渉は漸進にとどまる。最初に事実だけ。 1854年[US078]1月ロシア海軍中将プチャーチンが、黒船4…
ドイツ帝国の地政学、ドイツ統一後は「戦わない」ための同盟外交がOtto von Bismarckによって展開される。今回はベルリン条約を学ぶ。事実だけ記載する。 1878年[US102]オーストリアの要請に基づき、Bismarckの主催でイギリス帝国、フランス第三共和政、ドイ…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はロシアのプチャーチン来航。アメリカのペリー派遣を察知したロシアがすぐにリアクションした。ただし、シーボルトの影響もあり、紳士的なアプローチを採った。最初に事実だけ。 1853年…
ドイツ帝国の地政学、ドイツ統一後は「戦わない」ための同盟外交がOtto von Bismarckによって展開される。今回は三帝同盟を学ぶ。事実だけ記載する。 1873年[US097]ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国は三帝同盟を締結した。 Otto von Bi…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回は1852年[US076]のオランダ別段風説書。最初に事実だけ。 実は、1852年[US076]にオランダが提供した別段風説書で翌年のペリー来航はかなり詳細に幕府に伝えられていた。黒船来航はサプラ…
アドホックにフランスの地政学として黄埔条約を学ぶ。事実だけ。 1844年[US068]イギリス、アメリカについで、フランス七月王政も清と黄埔条約を締結。清は広州、福州、廈門、寧波、上海の5港を開港させられた上、関税自主権を喪失、治外法権を認め、最恵国待…
ドイツ帝国すなわちプロイセン王国の地政学、今回は普仏戦争の最中に宣言されたドイツ帝国の成立すなわちプロイセン主導によるドイツ統一を学ぶ。事実だけ記載する。 1871年[US095]ヴェルサイユ宮殿の鏡の間でドイツ帝国の成立が宣言された。 1871年[US095]1…
ドイツ帝国すなわちプロイセン王国の地政学、今回は普仏戦争を学ぶ。プロイセン王国はフランス第二帝政に勝利し、ドイツ統一に王手を掛けることになる。事実だけ記載する。 Bismarckはエムス電報事件を図ってNapoléon IIIに宣戦布告させ、1870年[US094]普仏…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はオランダ国王ウィルヘルム2世からの国書。最初に事実だけ。 1844年[US068]アヘン戦争の後、ネーデルラント王国(オランダ)国王ウィルヘルム2世から開国を促す国書が届いたが、翌年幕…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はモリソン号事件。満を持してアメリカの登場である。最初に事実だけ。 1837年[US061]アメリカ商船モリソン号が浦賀に接近したが撃退され、…
ドイツ帝国すなわちプロイセン王国の地政学、今回は北ドイツ連邦の成立を学ぶ。事実だけ記載する。 プラハ条約に基づき、1867年[US091]北ドイツ連邦が発足し、プロイセンが連邦主席となった。 プラハ条約(1866年[US090]8月23日)の定めに従い、1867年[US091…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はシーボルト事件。最初に事実だけ。 1828年[US052]ドイツ連邦バイエルン王国出身で長崎出島のオランダ商館付きの医師シーボルトが、帰国の…
ドイツ帝国すなわちプロイセン王国の地政学、今回は普墺戦争とプラハ条約によるドイツ連邦の解体を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。 1866年[US090]普墺戦争が勃発。プロイセンはドイツ連邦を脱退し、イタリア王国と同盟してオーストリア率いるドイツ…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回は大津浜事件と宝島事件。最初に事実だけ。 1824年[US048]イギリスの捕鯨船数隻が水戸藩の浜に上陸して捕縛された(大津浜事件)。また、薩摩藩沖の宝島にイギリスの捕鯨船員が上陸して…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はゴローニン事件。最初に事実だけ。 1813年[US037]ロシアの艦長ゴローニンと高田屋嘉兵衛を交換釈放。国境画定の議論もなされ、江戸幕府は…
ドイツ帝国すなわちプロイセン王国の地政学、今回はガスタイン協定を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。 1865年[US089]プロイセンとオーストリアはガスタイン協定を締結し、シュレースヴィヒ公国をプロイセンが、ホルシュタイン公国をオーストリアが統…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はフェートン号事件。最初に事実だけ。 1808年[US032]オランダ船拿捕を目的とするイギリスの軍艦フェートン号が不法に長崎に侵入した。 フラ…