Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ロシアの地政学

ロシアの地政学36:1900アムール川事件(1900-1901義和団の乱)

続けてチャイナ分割(瓜分)を学ぶ。チャイナに顔を出さなかったアメリカと、しっかりチャイナでの存在感は維持しつつも裏でアフリカ進出に力を削がれていたイギリスを学んだところで、チャイナ分割(瓜分)の終焉を学ぶわけである。今回は義和団の乱をロシ…

ニッポンの地政学28:1898.4.25西・ローゼン協定

チャイナ分割(瓜分)及びロシアの関連で、李氏朝鮮を巡るニッポンの地政学を学ぶ。今回は西・ローゼン協定。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]4月25日ニッポンとロシアは西・ローゼン協定を結び、大韓帝国をニッポンの勢力範囲とし、満州を…

コリアの歴史04:1898.3.23ロシアの軍事・民事アドバイザが撤退

さて、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいるが、思わぬ形で李氏朝鮮に影響が及ぶことになる。今回はロシアの軍事・民事アドバイザの突然の撤退を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 旅順・大連を租借したロシアは李氏朝鮮への関与を低下させる。1…

ロシアの地政学35:1898.3.15(or27)旅順(Port Arthur)・大連租借

ひきつづき、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はロシアによる旅順(Port Arthur)・大連の租借と南満洲鉄道敷設権の獲得を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]3月15日(または27日)ロシアは旅順と大連を25年間租借し、南…

ニッポンの地政学24:1896.6.9山縣・ロバノフ協定

李氏朝鮮を巡るニッポンの地政学を学ぶ。露館播遷への対応として、今回は山縣・ロバノフ協定を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1896年[US120]6月9日ニッポンとロシアは、朝鮮の独立を保証すること、李氏朝鮮の財政改革を促進すること、近代的警察…

ロシアの地政学34:1896.6.3露清密約、東清鉄道敷設権の獲得

日清戦争に関連してロシアの地政学を学ぶ。今回は露清密約、これはチャイナ分割(瓜分)の幕開けとなる。最初に、クールにザックリまとめる。 三国干渉によってニッポンから遼東半島を還付させた代償として、1896年[US120]6月3日ロシアは清と露清密約を締結…

ニッポンの地政学23:1896.5.14小村・ウェーバー協定

李氏朝鮮を巡るニッポンの地政学を学ぶ。露館播遷への対応として、小村・ウェーバー協定を学ぶ。今回は事実だけ。 1896年[US120]5月14日ニッポンとロシアはロシア公使館にいる李氏朝鮮国王高宗の還宮実現の条件を話し合い、両軍の駐屯定員などを取り決めた(…

コリアの歴史02大韓帝国の成立②:1896.2.11-1897.2.20事実上ロシアが新たな宗主国に(露館播遷)

Synmeは日清戦争を学んで来た。関連して、コリアの歴史について大韓帝国の成立(1897年[US121]10月12日)までを3回だけ簡単に学んでおく。今回は露館播遷(ろかんはせん)を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1,000年ぶりに独立した李氏朝鮮だったが…

ニッポンの地政学21:1895.11.8遼東還付条約

ニッポンの地政学を学ぶ。Synmeは日清戦争に関連していくつか学ぶ予定。露仏独の「チョット待った」コールに抗えるはずもないニッポン。今回は遼東還付条約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1895年[US119]11月8日ニッポンは清と遼東還付条…

ロシアの地政学33:1895.4.23三国干渉

久々にロシアの地政学を学ぶ。Synmeは日清戦争に関連していくつか学ぶ予定。戦争に勝利してニッポンが獲得した遼東半島に「チョット待った」コールがかかる。まさに露仏独による紅鯨団。第1期グレートゲーム(The Great Game)終盤のロシアとニッポンの対立…

ニッポンの地政学07:1875樺太・千島交換条約

ニッポンの地政学を学ぶ。第1期グレートゲーム(The Great Game)終結までを学ぶために、国際社会に復帰したニッポンの地政学を学ぶ必要があるためだ。今回6は樺太・千島交換条約をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。最初に、クールにザック…

ロシアの地政学32:1891露仏同盟

ひさしぶりにロシアの地政学を学ぶ。今回は露仏同盟。最初に事実だけ 独露再保障条約の更新が拒絶され、ロシアはフランスとの関係を強める。翌1891年[US115]には露仏同盟が公然化した。公式には1894年[US118]に締結され三国同盟を仮想敵国とした。 公式の同…

ニッポンの開国25:1861ロシア軍艦対馬占領事件

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はロシア軍艦対馬占領事件。最初に事実だけ。 1861年[US085]ロシアの軍艦が対馬を占領したが、江戸幕府の抗議、イギリスの介入等によって約…

ニッポンの開国20:1858日露修好通商条約

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日露修好通商条約。最初に事実だけ。 1858年[US082]8月ロシアと江戸幕府は日露修好通商条約を締結した。 1858年[US082]8月19日江戸幕府と…

ニッポンの開国16:1854ロシアのプチャーチン再々来航(黒船1隻)、1855日露和親条約

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はプチャーチンの再々来航。真摯なロシアは不本意ながら、アメリカ、イギリスに次いで三番手となってしまうが、津波に襲われながらも日露和…

ニッポンの開国13:1854ロシアのプチャーチン再来航(黒船4隻)

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はロシアのプチャーチン再来航。ペリー再来航の前でありロシアとニッポンの間の条約締結交渉は漸進にとどまる。最初に事実だけ。 1854年[US078]1月ロシア海軍中将プチャーチンが、黒船4…

ニッポンの開国12:1853ロシアのプチャーチン来航(黒船4隻)

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はロシアのプチャーチン来航。アメリカのペリー派遣を察知したロシアがすぐにリアクションした。ただし、シーボルトの影響もあり、紳士的なアプローチを採った。最初に事実だけ。 1853年…

ニッポンの開国04:1813ロシアのゴローニン事件

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はゴローニン事件。最初に事実だけ。 1813年[US037]ロシアの艦長ゴローニンと高田屋嘉兵衛を交換釈放。国境画定の議論もなされ、江戸幕府は…

ニッポンの開国02:1804ロシアのレザノフ来航

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はレザノフ来航。最初に事実だけ。 1804年[US028]ロシアのレザノフが長崎に来航して通商を求めた。幕府はこれも拒否したが、1806年[US030]薪…

ニッポンの開国01:1792ロシアのラクスマン来航

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はラクスマン来航。最初に事実だけ。 1792年[US016]ロシアのラクスマンが根室に来航して通商を求めた。しかし、江戸幕府はこれを拒絶した。 …

鉄道と運河の地政学05:1891-1901-1904シベリア鉄道の建設・開通

鉄道と運河の地政学、露仏同盟の締結(1894年[US118]1月4日)と関連するシベリア鉄道の建設・開通を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1891年[US115]フランス資本の資金援助を受けながら建設開始。1901年[US125]バイカル湖区間を除いて一応の完成、…

地政学を学ぶフレームワーク12

Synmeの中ではひきつづきロシアの地政学を中心に学び続けているつもりでいる。 関連して学習してきたインドチャイナにおけるフランスの地政学が1899年[US123]のフランス領インドシナ連邦完成で一段落した。Synmeなりの整理で言うところの第2象限(ユーラシア…

地政学を学ぶフレームワーク11

Synmeの中ではひきつづきロシアの地政学を中心に学び続けているつもりでいるものの、アジアでのロシアの地政学を学ぼうとすると色々関連してきて面白い。自分の不勉強を改めて実感するばかりだけれど。 日本語でインドシナと言うと、まるでそういう地域が存…

ロシアの地政学31:1881イリ条約

今回はロシアの地政学としてイリ条約を学ぶ。タルバガタイ条約締結に続いて、トルキスタンにおけるロシアの領土拡大について学ぶことになる。最初に、クールにザックリまとめる。 1881年[US105]ロシアは清とイリ条約を締結し、イリ地方西部(ザイサン湖周辺…

ロシアの地政学30:1864タルバガタイ条約

今回はロシアの地政学としてタルバガタイ条約を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1864年[US088]ロシアは清とタルバガタイ条約を締結し、アルタイ山脈・ザイサン湖北辺・天山山脈・パミール高原を結ぶラインを国境とすることに成功した。 北京条約(…

ロシアの地政学29:1860北京条約/1856-1860アロー戦争(第2次アヘン戦争)

今回もロシアの観点からアロー戦争を学ぶ。アイグン条約の2年後、戦わずしてロシアは北京条約も締結する。最初にクールにザックリまとめる。 1860年[US084]ロシアは清と北京条約を締結して沿海州を獲得。ロシアは沿海州南部にウラジオストクを建設し、遂に不…

ロシアの地政学28:1858アイグン条約/1856-1860アロー戦争(第2次アヘン戦争)

今回はロシアの観点からアロー戦争を学ぶ。共同出兵したのはイギリスとフランス第二帝政だったが、イギリスと共に「実利」を得たのはロシアであった。最初にクールにザックリまとめる。 1858年[US082]ロシアは清とアイグン条約を締結し、アムール川東岸を獲…

地政学を学ぶフレームワーク09

ロシアの南下政策がバルカン半島でもアフガニスタンでも阻まれたところまできた。時間が前後するが、ロシアの地政学の次回からはアロー戦争(第2次アヘン戦争、1856年[US080]6月28日〜1860年[US084]10月/11月)を皮切りにアジアにおけるロシアの地政学4つを…

ロシアの地政学27:1878-1881第2次アングロ・アフガン戦争

ひきつづきロシアの地政学を学ぶ。今回は第2次アングロ・アフガン戦争。The Great Game第1期(1813年[US037]〜1907年[US131])の第2ラウンドである。最初に、クールにザックリまとめる。 1878年[US102]イギリス領インド帝国はアフガニスタン首長国に対して再…

ロシアの地政学26:1878ベルリン条約

ひきつづきロシアの地政学を学ぶ。今回は1878年のベルリン条約。最初に、クールにザックリまとめる。 1878年[US102]6月ベルリン条約が締結されて大ブルガリア公国は3分割された。ブルガリアの領土はバルカン山脈以北に縮小され地中海に面する領土は失われた…