Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

2019-01-01から1年間の記事一覧

【再掲】鉄道と運河の地政学05:1891シベリア鉄道の建設開始

【再掲にあたっての備忘録】以前学んだときは分からなかったが、ロシアのシベリア鉄道に対する意気込みが大きなものであったであろうことが改めて感じられる。 ベルリン会議(Kongokonferenz、1884年[US108]11月15日〜1885年[US109]2月26日)から6年、当たり…

【再掲】フランスの地政学32:1891露仏同盟

【再掲にあたっての備忘録】Wilhelm IIが独露再保障条約の更新を拒絶(1890年[US114]6月17日)しても、イギリスとヘルゴランド=ザンジバル条約を締結(1890年[US114]7月1日)して順調な植民地経営を続けるドイツ第二帝国。 しかし、Otto von Bismarckの懸念…

【再掲】ロシアの地政学32:1891露仏同盟

【再掲にあたっての備忘録】Wilhelm IIが独露再保障条約の更新を拒絶(1890年[US114]6月17日)しても、イギリスとヘルゴランド=ザンジバル条約を締結(1890年[US114]7月1日)して順調な植民地経営を続けるドイツ第二帝国。 しかし、Otto von Bismarckの懸念…

イギリスの地政学22:1890.7.1ザンジバル保護国の成立

今回はイギリスの地政学として、ザンジバル保護国の成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1890年[US114]7月1日イギリスはドイツ第二帝国とヘルゴランド=ザンジバル条約を締結して、ザンジバル(ウングジャ島(ザンジバル島)、ペンバ島)に対す…

イギリスの地政学21:1890.7.1ヘルゴランド=ザンジバル条約

破竹の勢いで植民地帝国の拡大を続けるドイツ第二帝国とイギリスがお互いの植民地に関連する条約を締結した。今回はイギリスの地政学として、ヘルゴランド=ザンジバル条約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1890年[US114]7月1日イギリスは…

ドイツの地政学26:1890.7.1ヘルゴランド=ザンジバル条約

破竹の勢いで植民地帝国の拡大を続けるドイツ第二帝国とイギリスがお互いの植民地に関連する条約を締結した。今回はドイツの地政学として、ヘルゴランド=ザンジバル条約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1890年[US114]7月1日ドイツ第二帝…

【再掲】ドイツの地政学17:1890.6.17独露再保障条約の失効

【再掲にあたっての備忘録】1890年[US114]3月18日にOtto von Bismarckが辞職した。1888年[US112]6月15日に即位したドイツ第二帝国最後の皇帝Wilhelm IIが辞職させたのである。 「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし(平家物語)」である。 ドイ…

イタリアの地政学10:1889イタリア領ソマリランドの成立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はイタリアの地政学として、イタリア領ソマリランドの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1889年[US113]イタリア王国がMajeerteen支族(Somali族)を支援する見返…

イギリスの地政学20:1888.4.18イギリス東アフリカ会社の設立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はイギリスの地政学として、イギリス東アフリカ会社の設立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1888年[US112]4月18日 イギリスはイギリス東アフリカ会社を設立。現在の…

【再掲】ドイツの地政学17:1887.6.18独露再保障条約の締結

【再掲にあたっての備忘録】1878ベルリン会議(1878年[US102]6月13日〜7月13日)で三帝同盟(ドイツ第二帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国及びロシア)が崩壊してしまったので、1882年[US106]5月20日ドイツ第二帝国はオーストリア=ハンガリー二重帝国…

イタリアの地政学09:1887.1−1889.5.2イタリア・エチオピア戦争/1889.5.2イタリア領エリトリアの成立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はイタリアの地政学として、イタリア領エリトリアの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 イタリア王国は1887−1889イタリア・エチオピア戦争に勝利し、1889年[US113…

ドイツの地政学25:1885.5.27ドイツ領ヴィトゥの成立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になっている所を学んできた。ついに、東アフリカにもドイツ第二帝国が参入してくる。 今回はドイツの地政学として、ドイツ領ヴィトゥの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 18…

ドイツの地政学24:1885.3.3ドイツ領東アフリカの成立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になっている所を学んできた。ついに、東アフリカにもドイツ第二帝国が参入してくる。 今回はドイツの地政学として、ドイツ領東アフリカの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 …

【再掲】フランスの地政学29:1884.11.15-1885.2.26ベルリン会議(コンゴ会議)

【再掲にあたっての備忘録】フランス第三共和政は、現在のコンゴ共和国(Congo-Brazzaville、コンゴ共和国 - Wikipedia)にあたる地域を、フランス領コンゴ(フランス領コンゴ - Wikipedia)として領有した。 イギリスと軍事同盟を結ぶポルトガルに対抗する…

【再掲】ドイツの地政学16:1884.11.15-1885.2.26ベルリン会議(アフリカ分割)

【再掲にあたっての備忘録】ドイツは1884年[US108]に入って以降、カメルーン、トーゴ、ナミビア、ニューギニアなど次々に保護国化(植民地化)を宣言している。そして、その流れを受けての「アフリカ分割」のルール作りである。 鼻息の荒いドイツと、既に多…

ドイツの地政学23:1884.11.3ドイツ領ニューギニアの成立

今回はドイツの地政学。アフリカから離れて、今回はドイツ領ニューギニアの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]11月3日イギリスと協議の上、ドイツ第二帝国はニューギニア島北東部及び島嶼部にドイツ領ニューギニアを成立させた。…

ドイツの地政学22:1884.8.7ドイツ領南西アフリカの成立

イギリスとフランスが先行していたアフリカ分割について、スエズ運河の開通によりアフリカの角の争奪戦が始まった他に、ドイツの参入が急ピッチで進む。今回はドイツ領南西アフリカの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]8月7日ド…

ドイツの地政学21:1884.7.5ドイツ領トーゴランドの成立

イギリスとフランスが先行していたアフリカ分割について、スエズ運河の開通によりアフリカの角の争奪戦が始まった他に、ドイツの参入が急ピッチで進む。今回はドイツ領トーゴランドの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]7月5日ド…

ドイツの地政学20:1884.7.5ドイツ領カメルーンの成立

イギリスとフランスが先行していたアフリカ分割について、スエズ運河の開通によりアフリカの角の争奪戦が始まった他に、ドイツの参入が急ピッチで進む。今回はドイツ領カメルーンの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]7月5日ドイ…

イギリスの地政学19:1884イギリス領ソマリランドの成立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はイギリスの地政学として、イギリス領ソマリランドの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]アデン海軍基地に駐留していたイギリス軍が食料調達目的で…

フランスの地政学50:1883フランス領ソマリランドの成立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はフランスの地政学として、フランス領ソマリランドの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1883年[US107]フランス第三共和政がSomali族及びAfar族の支族長と締結し…

【再掲】イギリスの地政学09:1881-1899マフディー戦争

【再掲にあたっての備忘録】今回の文脈では、イギリスがエジプトの経済再建・再軍備を支援していることがポイントである。イギリスにとってはスエズ運河が最も大事、そしてそのコントロールを保持し続けるにはエジプトがハッピーである必要があるわけだ。だ…

【再掲】イギリスの地政学08:1882.6.11ウラービー革命/イギリスによるエジプトの保護国化

【再掲にあたっての備忘録】1875年[US099]スエズ運河株式を取得、1878年[US102]7月13日キプロス島を租借、そして1882年[US106]6月11日エジプトを保護国化。イギリスのやることは的確かつ効率的である。 【再掲】鉄道と運河の地政学03:1875イギリスがスエズ…

現代の地政学:2019.8.23大韓民国のGSOMIA破棄

2019年[US243]8月23日大韓民国(Republic of Korea)がニッポンとの軍事情報包括保護協定(GSOMIA (General Security of Military Information Agreement)、ジーソミア)を破棄した。同協定は11月22日に発効からわずか3年で失効する。 「思い返せば、あの日…

イタリアの地政学08:1882.5.20三国同盟

イタリアの地政学、今回は三国同盟を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1882年[US106]5月12日にフランス第三共和政がチュニジアを保護国化すると、20日イタリア王国はドイツ第二帝国とオーストリア=ハンガリー二重帝国の軍事同盟に加わり、三国同盟…

【再掲】ドイツの地政学15:1882.5.20三国同盟

【再掲にあたっての備忘録】Otto von Bismarckとしては、「良い展開」である。ここまでを読んで1878ベルリン会議(1878年[US102]6月13日〜7月13日)を主催していたのかも知れないけれど… 独墺同盟にイタリア王国が加わり三国同盟を形成した。 対外的にはフラ…

【再掲】フランスの地政学31:1881.4チュニジア侵攻、1881.5.12バルドー条約【復習】

【再掲にあたっての備忘録】1878ベルリン会議(1878年[US102]6月13日〜7月13日)にはロシアとトルコの他に、ドイツ第二帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国、イギリス、フランス第三共和政、そしてオマケで新興国イタリア王国が参加していた。 そして、…

【再掲】ドイツの地政学14:1879.10.7独墺同盟

【再掲にあたっての備忘録】独墺同盟は対ロシアを念頭に置いた軍事同盟である。 Otto von Bismarckとしては、ベルリン条約(1878年[US102]7月13日)はっきりとロシアを怒らせた(大ブルガリア公国を3分割してロシアの地中海への陸路を奪った)のだから、「と…

オーストリアの歴史03:1878.7.13ベルリン条約/ボスニア・ヘルツェゴビナの占領

1877-1878ロシア・トルコ戦争の関連でオーストリアの歴史を学ぶ。今回は、ボスニアの占領である。最初にクールにザックリまとめる。 1878年[US102]7月13日に締結されたベルリン条約の結果、オーストリア=ハンガリー二重帝国は、サン・ステファノ条約では自…

イギリスの地政学18:1878.7.13ベルリン条約/キプロス島の租借

1877-1878ロシア・トルコ戦争の関連でイギリスの地政学を学ぶ。今回は、キプロス島の租借である。最初にクールにザックリまとめる。 1878年[US102]7月13日ベルリン条約とは別に、イギリスはロシアから攻撃された際の援助の見返りにキプロス島を租借する条約…